ここ数年話題となっているノーレーティングから出発しつつ、評価制度について考えていきたいと思います。
まずは、従来の評価制度とノーレーティングの比較から;
目標設定の考え方・方法、評価方法、賞与・昇給の決め方には明確な違いがありますね。
一方で、目標設定のタイミング、フィードバックのタイミングや視点は、多少の違いはありますが、結構似ていませんか?
もしかしたら、従来の評価制度のほうが若干しっかりしていると感じた人もいるのでは。
ただ、実感と比べると、従来の評価制度を良く書きすぎているように感じるかもしれません。
そこで次の表です;
横軸に(理想)と書いてあるのは、最初に見せた表の内容と一緒です。
その上で、従来の評価制度(現実)とノーレーティング(理想)を見比べてみてください。
ノーレーティング(理想)のほうがはるかによく見えませんか?
ノーレーティングを調べたり、勉強されたりした人には、おそらくこの比較の方がなじみがあるのでは。
現実と理想を比べられては、それは従来の評価制度の分が悪いです。
でも、今回のブログの目的は、従来の評価制度を擁護することにあらず。
取り上げたいのは次の部分です;
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従来の評価制度とノーレーティング、理想同士で比べても違いがある部分をどのように考えれば良いのか
- 目標設定の考え方・方法
- 評価方法と賞与・昇給の決め方
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従来の評価制度(そしておそらくノーレーティングでも同様)の、理想と現実のギャップの根本原因は何か
目標設定の考え方・方法
理想同士の比較であれば、本人の特徴や意向に併せて目標設定するのは共通です;
違いは、あらかじめゴールを決めてそこに向かって走っていくのか、状況に併せてできることを精いっぱいやりそれを積み上げていくのか。
世の中が流動的、先が読めなくなってきているのは事実である一方、株主や銀行等の出資者への約束も守らなくてはいけないのも現実です。
そのため、どちらの方法が良いかは、各組織の事業フェーズや職種などに大きく左右されるでしょう。
事業モデルが安定していて、収益予測がしやすいような事業を進めているなら、従来型の方がフィットするでしょう。
逆にスタートアップ企業のような先が読めない事業フェーズの企業にはおそらく、ノーレーティングの考え方の方が合うような気がします。
また、逆説的ですが、1年程度では結果が出ないような、研究職などはノーレーティングの方が合うかもしれません。
評価方法と賞与・昇給の方法
ノーレーティングは極端に言えば、マネジャーにお金を渡して、部下にうまいこと配ってくださいねというやり方です。
だから、標語があるかないかの違いというよりも、報酬配分の権限を現場のマネジャーが持つのか、人事が持つのかの違いと見ることが重要です。
アメリカ企業でノーレーティングが受け入れられているのは、マネジャーがより権限を持ちたいという傾向が強いのではと思います。
ただ、マネジャーの権限を増やすのであれば、同時に責任も増やさなければ、暴走してしまうマネジャーもいるかもしれない。
例えば、離職による採用コスト自体もマネジャーの予算責任としてもらうなどで、けん制する必要があるかもしれません。
(これをやると、今度は辞めさせないように部下にプレッシャーをかけるみたいな別の問題も対処しないといけないですが。)
でも、日本にいるマネジャーの方々は、責任を増やされるぐらいなら権限なんていらないよという意見のほうが多いのでは。
そういう見方をすると、標語による相対分布評価は、ある意味マネジャーのプレッシャーを減らす方法ではあります。
ノーレーティングの議論をする上では、マネジャーの能力や気質を観察し、意向に耳を傾けることから出発するのもありなのかなと思います。
評価制度を含め人事制度というのは、ある意味、マネジャーの人材マネジメントを助けるためのものでもあるわけですから。
理想と現実の根本原因
従来の評価の「フィードバックのタイミング」の理想と現実。
ノーレーティングを導入しても、同じような理想と現実の差が出てしまう可能性が高い部分とも言えます。
「現実」に陥っているのは、次のような理由があるでしょう;
- 単純に面倒くさい
- 部下との関係が良くないし、部下もそんなにしょっちゅう自分と話たがっていない
- なんだかんだ収益目標の達成への業務が優先されて、リアルタイムのフィードバックをやっている時間がない
- 部下の育成の成果が、事業の成果に結び付くにはタイムラグがある(なので自分の評価に反映されない)
要するに、マネジャーの立場からすれば「責任」はあるけれども、「インセンティブ」がないのです。
リアルタイムフィードバックの記録をしっかり取り、きちんとしたマネジャーの評価は上げるという方法もあるかもしれない。
ただ、これはさじ加減も難しい。
育成は全然力を入れないけど収益を上げているマネジャーと、育成は頑張るけれども収益を上げないマネジャー、どっちをより評価するか?
また、先ほどの話とは逆で、責任はあるけれども権限というインセンティブが与えられていないという見方もあるかもしれない。
日系企業の場合は特に、ローテーション制度により、メンバーがすぐ変わってしまう。
せっかく育てたチームから自分が異動させられてしまうというのも、度々あるでしょう。
つまり、チーム編成の権限がほとんどないわけです。
組織だから仕方ないよねという意見もあると思いますが、これだとマネジャーが「自分のチーム」という意識を持つのが難しいかもしれません。
だから併せて考えよう
評価制度の議論をするときには、評価を受ける側の立場で検討することが多いと思います。
しかし、運用の主体となるのは実はマネジャー。
<責任>
- 評価をする責任
- 採用・引き留めコストに対する責任
- 日々フィードバックし、育成する責任
<権限>
- 評価をする権限
- 報酬配分をする権限
- チーム編成をする権限
こういった責任と権限をどれだけマネジャーに持ってもらい、責任と権限のバランスをどのように取るか?
多くのマネジャーが「良しやるぞ」と思ってもらえるようなバランスを取らないと、いくら素晴らしい制度を作っても、運用が理想に近づきません。
評価制度の検討には、従来の制度と新しい制度の比較以上に、マネジャーの権限と責任と併せて考えることが重要だと思います。